新年早々に内藤選手のインタビューが公開されたが内容がとにかく濃かった。
中でも見出しとして強烈だったのが、
プロレスできなくなるかも
だ。
内藤哲也「簡単に言うと『あっ、もうプロレスできなくなるかも』って思いました」
☆東京ドームまであと3日!無料インタビュー!
⇒https://t.co/e8FJp5TwFp#njwk14 #njpw #新日本プロレス pic.twitter.com/X5FSxXEWBP— 新日本プロレスリング株式会社 (@njpw1972) January 1, 2020
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というか4強で有料となっているのは内藤哲也だけという点も「ですよね~」と頷いてしまうよ。
リアルに売り上げが立つ選手なんだなぁと改めて実感してしまう。
話がそれてしまったがこの記事では私が感じていた内藤選手の違和感、そして、だからこそ私が今年ビッグマッチは試合行かなきゃ!と思ったのだ。
G1全部行ったマンだから言えること。
公式戦9試合、前哨戦9試合をアメリカ・日本全国サーキットやるキツさってヤバいよ。
好きなことで全国回ったけどめっちゃ疲れたもん!
レスラーは”好きなこと”を仕事にしている人たちだけど、それを差し引いても尊敬が溢れてくるよ。#njpw #g129— EL Django@Next1.4/1.5/1.6 (@El_Djang0) August 12, 2019
内藤哲也の不安の正体は何のか?私には左膝が怪しさがあった。
始めに書いておくが、ここが悪いんじゃないか?あそこが悪いじゃないか?と予想したいわけではない。
あくまで私が感じたことは、内藤選手の左膝が相当悪いように感じていた。
私がこれは相当悪いんじゃないか?と疑ったキッカケはNJC1回戦とMSGでのインターコンチ戦だ。どちらも相手は飯伏選手だった。
NJCの1回戦では左脚に力が入っていないシーンがあったのだ。
それは雪崩式フランケンシュタイナーに移行する時に左脚に踏ん張りが効かずよたよたとトップロープに上ったシーンがある。
これが1つ目の違和感でだった。ワールドだと19分30秒過ぎにこのシーンがあるので気になる人はぜひ。
2019年3月10日 兵庫・ベイコム総合体育館(尼崎市記念公園総合体育館) 第9試合 「NEW JAPAN CUP 2019」1回戦 飯伏幸太 VS 内藤哲也
もう一つはMSGでのインターコンチ戦であるが飯伏選手の人でなし(だるま式)パイルドライバーを切り返して、掟破りのだるま式パイルドライバーを決めようとしたシーン。
この時飯伏選手を持ち上げようとしたが、足に力が入らずに2回もこけてしまっていたのだ。
時間は24分30秒過ぎなのでこちらも確認してほしい。
2019年4月6日 アメリカ・マディソン・スクエア・ガーデン 第8試合 IWGPインターコンチネンタル選手権試合 内藤哲也 VS 飯伏幸太
その後も今年の試合を見ていると三角コーナーキックに失敗したり、グロリアやバレンティナが上がり切らない時が多々あった。
G1以降はあまり見られなくなったから”気のせい”と思ったがインタビューを読むと試合にも影響が出ていたとのことで複雑な心境である。
内藤選手が手術したのは右膝だが、それをかばってか左膝はどんどん悪くなっているようだった。
2018年に放送されたプロフェッショナル~仕事の流儀~でも水を抜いていたのは左膝。またリング上でも気にしているは左膝のだった。
他のブログでも取り上げていたが、左膝は相当悪そうである。
詳しくは↓の記事を確認してほしい。
左膝が悪いことに対して言い出したらキリがない。
2018年以降はほぼプルマブランカ(肩固め)を使用していなかった。↓の動画参照。
内藤選手の最もキレイな技の一つであるジャーマン・スープレックス・ホールドやドラゴン・スープレックス・ホールドを使用していない。
プルマブランカは左脚で使用して相手を締め上げるし、スープレックス・ホールドは一瞬でも200㎏以上の負荷が足に乗ることになる。
ここ2年は膝をかばってか技を制限して戦っていたのだ。
もう一度いうが「内藤選手の悪い場所は左膝です」で当たった外れたを言いたいわけではなく、私の目には何かしらの違和感は感じていたということだ。
それは内藤選手ファンならば気づいたはずだ。
フィジカルの調子が悪くなっており、プロレスラー内藤哲也の限界は近いという悪寒したのだ。
フィジカル的に良い内に内藤哲也を見たい。これが1つ目の理由だ。
2019年5月からやたらと「今の内藤哲也」を強調するようになった
実は2019年の5月ごろからやたらと「今の内藤哲也を魅せる」ということを中心にコメントを残していた。
スマホ日記でもインタビューでも「今の内藤」をすごく強調していた。
その中でも特に私的にひっかかったのは2019年のNumberプロレスラー総選挙の時のインタビューだ。
2016年、2017年は1位なのだから自信に満ち溢れた、
まだまだ上にいく
一番お客様を満足させているのは内藤およびロスインゴ
という内容だったが2019年は違った。
内容は自分で読んで欲しいが、内容を簡単に要約すると、
今できる内藤哲也を見せたい。たとえ自分の選手生命を短くしても全試合をしたい。
史上初に拘るのは誰にも超えられない記録だから歴史に残したい。
という内容だ。
歴史に名を残すに対してINFINITO(無限)という単語を使った理由については↓の記事を見てほしい。
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内藤哲也の「INFINITO」のメッセージの意味が判明。なぜ「無限大」という言葉を選択したか?
※ 画像は©新日本プロレス株式会社 G1 Climax29用に内藤哲也選手がリリースしたTシャツ「Infinito」を皆 ...
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私の解釈では「ロスインゴの内藤哲也は下り坂を降り始めた」と感じたのだ。
2018年のNumberプロレスラー総選挙では「史上初」に拘っていきたいとコメントしているが、その時は6大ドームツアーを30代でやってやる!という力強いものだった。
しかも「史上初をどんどんやっていく」と言うものだった。
それと比べて2019年のインタビュー時は「自分の名前を残したい」なのだ。自信というよりもどこか弱々しい内藤選手の願望になっていた
ロスインゴとしての内藤哲也が最後になる予感。これが2つ目の理由だ。
6大ドームツアーの夢をステイさせて2冠が疑問だった
内藤哲也を語るうえで夢は外せない。
2018年に3つの夢をかなえてしまった内藤選手が新たな夢として掲げたのは「6大ドームツアー」である。
2018年当初はやってやるという自身に満ち溢れていた印象だが2019年始まって状況は変わったのだ。
初出は週刊プロレスだったが、インターコンチを保持しながらIWGPヘビーを戴冠、これが夢になったのだ。
この発言は当初は疑問だった。
新日本プロレスが東京ドームに向かって興行をするので、ここでは書けない力が加わったことは考慮すると答えはでる。
だとしても6大ドームツアーの話を内藤選手はほぼ2019年はしてこなかった。
あれだけ夢!夢!いう内藤選手が自分で言ったことを放り出して目の前の夢を語るだろうか?
私の知っている内藤選手は頑固でまっすくがレスラーである。
私的には「内藤哲也というレスラーを歴史に名を残すことに固執したスターダスト時代の内藤哲也」が頭によぎったのだ。
となると話は一つで内藤選手が一気にメインストーリー(IWGPヘビー)に絡むと思ったのだ。
これが3つ目の理由である。
まぁ結局G1も良いところなし、直後にジェイ選手に負けて、最後手ぶらで挑戦表明と良いところは少なかったが去年は十二分に楽しめた。
内藤哲也が史上初の両戴冠を成し遂げた先に何があるのか?
オカダ選手・飯伏選手・ジェイ選手・内藤選手の誰かが史上初の両戴冠することになる。
もちろんこんな記事を書いているぐらいだから、この4選手の中で内藤選手には史上初の両戴冠をしてほしい。
そしてロスインゴのメンバー6人揃ってドームの大合唱をしたいものだ。
ただ最初で最後になる可能性も十分あり、頂点を極めてしまったら後は降りるだけという悲愴感もある。
もしこれで更にまだ上ることが出来るのであれば、30代で6大ドームツアーという2018年に建てた夢がまた始まるのだろう。
今年のドミニオンは大阪城ホールであるためドーム展開はもう少し後になりそうなのだが、トップ戦線にいるうちに東京ドーム以外のドームを目指してほしい。
最後に内藤はファンはnaito2belts.comを使ってみて!
内藤ファンは私が作ったサイトnaito2belts.comをぜひ使ってみてほしい。
ツイッターをやっていなくても匿名で内藤選手に応援メッセージを送れるサービスになっている。(本人がみているかは不明)
使い方は簡単で、画像を選んで応援メッセージを書くだけ。
ちなみに#NaitoTwoBelts #Naito2belts #Naito2020 のハッシュタグ数を1,200ツイートオーバーになっている。
このタグを付けてどんどん応援メッセージ送ってほしい。