BOSJ26 優勝決定戦が両国国技館で行われた。
試合はオスプレイ選手vs鷹木選手の対決で、無差別級vs無敗の男という構図が出来上がっていた。
下馬評どおりの2人が優勝決定戦に進みサプライズは無しのみんなが見たい注目カードだ。
試合は新日本プロレスワールドでぜひ観てもらいたい。
これが新日本プロレスが世界で勝負できる興行、「ベスト・オブ・ザ・スーパージュニア」と言わんばかりの内容。
オスプレイ選手がパワーで真っ向勝負を仕掛ける場面があったと思えば、
鷹木選手が捨て身のトペを出す、
優勝決定戦にふさわしい出し惜しみ無しの試合内容だった。
優勝決定戦だけではないが、少々異質な試合だった。
「これはジュニアの祭典なのか?」という疑問を投げかけなるほど、ジュニアの戦いを超えていたのではないか?
絶対王者不在の中で生まれた新たなテーマ「ジュニアのスーパースターが必要」
当初ベスト・オブ・ザ・スーパージュニア26は雲行きは怪しかった。
- 高橋ヒロムの欠場。
- エル・デスペラードの欠場。
- KUSHIDAの退団。
そう、今までジュニアを引っ張っていた選手たちが不参加なのだ。
また公式戦は全10試合、優勝決定戦は両国国技館というやや冒険的な興行であった。
石森選手が「絶対王者が不在」、オスプレイ選手が「棚橋、オカダ、内藤のようなスターがジュニアにはいない」と言っていた通り
ジュニアのスーパースターがいないのだ。
スーパースターの定義は諸説あるが私個人の見解は、
この選手がいれば興行がお客が呼べ、グッズはバカ売れする
である。
プロレスは究極を言ってしまえば、強い・かっこいい・華がある・面白い。。。なんてどうでもよい。
要は売上が立てられれるレスラーこそがスーパースターであるべきなのだ。
この大会はジュニアの最強を決める大会以上に「ジュニアのスーパースターを決める」大会であったのはないだろうか。
特に優勝決定戦のオスプレイvs鷹木の試合はスーパースターに決める試合に思えて仕方ない。
試合結果は新日本プロレスを思う気持ちでオスプレイ選手が鷹木選手を上回り、勝利をものにした。
シリーズ終盤からにじみ出てきた新日本プロレス愛がオスプレイ選手に力を与えたのだろう。
かたや鷹木選手のコメントは、どうしたら盛り上がるかに徹していた。
新日本プロレスへの愛を語っていなかった。
決してダメではないのだが、ベスト・オブ・ザ・スーパージュニアは俺が俺がでは勝てないのだろう。
今考えると誰かがジャイアンと言ったことに昨日の試合後ならより深く頷ける。
ジュニア≒無差別級と新たな価値観はどこまで通用するのか?新たな階級が誕生するのか?
高橋ヒロム選手の夢の1つに「ジュニアのベルト巻いた状態でヘビーのベルトを取る」というものがある。
この夢を聞いた時に「いやいや厳しいでしょ」と思った。
だが今なら現実として起こってもおかしくないというところまで来ているのではないだろうか。
新たな価値観「ジュニア≒無差別級」が私の中で芽生えているからだ。
鷹木選手もバックステージコメントでこんなことを残している。
新日本プロレス
この『SUPER Jr.』で俺は証明したと思っている。別にジュニアを軽視ているわけじゃない。ジュニアだろうがヘビーだろうが俺はもっと強い奴と闘いたいんだ。それは俺自身のためでもあり、そしてここ新日本に来た時にプロレス界をおもしろくすると言ったことが嘘じゃないために。決勝で負けたからって、6.9大阪城ホール、まさか試合が組まれねえってことはねえよな、新日本さんよ。
新たな価値観「無差別級」。
もしかしたら第3の階級が今後誕生する可能性もあり得るのではないだろうか。
この無差別級というのはジュニアのスーパースターの1つの条件になのではないだろうか。
無差別級でスーパースターならばヘビー級への挑戦も許可される。
ただ誰もが納得するようなはっきりとした定義が欲しい。
この判断はIWGP実行委員会に判断を仰ぎたいと思う。
もし仮にスーパースターならば東京ドームのメインの可能性まで出てくるだろう。